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100名山の完登を振り返って

2010年12月4日、赤城山で100名山登頂を達成しました。
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                                           左中根暇人と右W辺


Fツアーに参加し、いくつか100名山を登っているうちに、ツアー仲間のK山さんが100名山踏破を目指し”今度で❍座目”・“あと❍座”と意気込んでいるのをよく耳にしていました。ある時、〝さて自分は何座登ったのだろうか”と数えてみるとこの時点で44座であった。”100まであと56か・・・”と思いふけっているうちに〝よーしチャレンジしてみよう”という意欲が沸々と湧いてきた。
それであれば、5年計画で残り56の莞達を目指してみようと大雑把な計画を立ててみた。
まず、Fツアーでは既に登ってしまっている山と一人でも安全に登れる山をピックアップし登攀を開始した。
思い立った2006年9月から翌2007年末までに19座踏破した。その登山手段は、単身で8座・Fツアーで3座、あとはFツアーの有志とMの会やM旅行で登った。これでなんとか自信らしいものがついた。
しかし、残り37座を考えてみると、難物として北海道(特に幌尻岳)と飯豊山それに宮之浦岳が残った。これらは単独ではどうにも自信がない。
それはそれとして、翌2008年は単独でも行けるところとして九州から始めた。レンタカーを借り九重・祖母・阿蘇・霧島を回ったが、連続登山は初めてのことであり少々不安もあったが、天気にもまあまあ恵まれて快適な山歩きだった。
その後K山さん・OY木から飯豊山の話が持ち上がり8月にチャレンジをした。この山は覚悟はしていたが、思い荷物と急峻でとにかくきつかった。それまでは平ヶ岳が最もタフで印象に残っていたが、それに引けをとらない山だった。
下山後、この3人で9月に北海道の5座をやろうということになった。
結局、K山さんは都合が悪くなり、大雪・十勝・トムラウシは単独で歩き、後半はOY木さんと合流して幌尻・羊締山を制覇した。
これに味をしめ、OY木さんに頼み込んで宮之浦岳を同行してもらうことになった。
これで縣案をクリアしたので、あとは詰めの段取りとなった。ある時から100番目の達成登山は赤城山と決めていたが、これは私の戸籍上の出生地が、父親の実家のあった赤城山の麓の群馬県勢多郡(現在は前橋市)であった為に意識したものである。最初の山が我が青春の地である八甲田山、そして最後が我が命のこぼれ落ちた赤城山というのに何となく因果応報を感じたからである。
翌年からはFツアーのN松さんや同じメンバーで最近100名山を目指しているF井さん等に助けを借りながら、一つ一つ潰していった。2009年8月に99番目の水晶岳の頂上に立った時は、さすがにここまできたかという達成感と感慨が湧いてきた。
そして、12月にはFツアーで100名山達成登山を企画してもらい、ついに満願成就となった。
5年計画で100名山完登(実質残り56座)を思い立ってから、予定通り5年で達成したことになる。これもFツアーのFリーダーや、その仲間で数々の企画をしていただいたN松さん・尻押ししてもらったOY木さんを始めとする多くの仲間に恵まれた賜物と深く感謝している次第です。
100名山達成先輩であるN沢さんから100には100の思い出があると言われましたが、まさにその通りです。天気に恵まれ最高の展望を満喫した山や、お花畑に囲まれ桃源郷を味わったこともある反面、急登に悲鳴を上げ何度引き返そうかと弱気になった時に仲間の力強い後押しがあって登りきって感謝ひとしおだった山、悪天のなか苦労して登ってみると何にも見えず早々に引き返した山、体調不良で途中完全に足が止まってしまい仲間の後を一人ぼっちで懸命に追っていった山等々今になっても鮮明に思い出すことができます。
こんな山々を暇にまかせのんびり思い出しながら、100番目から順々に振り返って〝100名山追想記”を作ってみようかと思っています。完成はいつになるか、はたまた実際出来上がるのか自信がありませんが、自分史としてひとつずつ振り返ってみたいものです。

by hkatsu59 | 2013-03-28 13:53 | 私にとっての100名山  

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