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NO.91大峰山・NO.92大台ケ原

2009年10月28日~29日M旅行社のツアーを利用して、奈良の大峰山と大台ケ原へ行ってきた。
東京から行ってこの2座を一緒に踏破する場合は結構アクセスに難がある。奈良の最寄りの駅までJRを利用し、後はレンタカーを借りて行くという方法よりない。この場合、思ったより時間がかかり、また費用も安くはない。
そこであまり本意ではないが、過去にやはり時間と費用を比べ、安達太良山と草津白根山で利用したことがあるM旅行社のツアーに参加して行くことにした。

10月27日の夜に東京駅前から大型バスに乗りこみ奈良に向けて出発した。バスは満席であった。
バスは28日朝7時前に登山口である行者還トンネル西口に到着した。
7:05登山口を出発。数日前から腰に激痛が走り、体調が心配だったためツアーの後方をゆっくり歩くことにした。天気は熱くもなく寒くもなく絶好の登山日和である。

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登り始めは樹林の中を行くが、葉は黒ずんでいて紅葉は終わりかけていた。しかし、高度を上げるにつれ色ずいた葉が目につくようになってくる。

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8:10大峰奥駆道分岐着。ここから山上ヶ岳を望む。奥駆とは吉野から山上ヶ岳を経由し熊野まで至る修験道のことである。その山上ヶ岳への分岐点がここである。
山上ヶ岳は大阪勤務時代に洞川(どろがわ)から登り、頂上の宿坊に泊まり吉野へ下ったことがある。この山上ヶ岳は今でも全国に唯一残る女人禁制の山であることは有名である。洞川登山口には“女人結界”の標識があった記憶がある。
また、吉野に下った時に、先日亡くなった若かりし市川団十郎(当時は海老蔵)が登ってくるのとすれ違った事があった。成田山の法被をきた修験姿で大きな声で挨拶を交わした記憶がある。
この分岐点から山上ヶ岳を眺めていると、そんな昔の事を思い出していた。

分岐からは尾根歩きとなり、弁天の森を経由し9:10聖宝ノ宿後に着く。ここには写真を撮らなかったが、ちょっと童顔で高下駄をはいた理源大師像があった。ここからツツジやシャクナゲの木が茂る道を登り、10:22弥山に着いた。

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             弥山の看板の前で

ところで、以前から気になっていたことだが、大峰山とは”弥山”のことをいうのか、或いは”山上ヶ岳”のことをいうのか・・・
M旅行の添乗員に聞いてみたところ、山岳的には弥山のことを指し、宗教的には山上ヶ岳を大峰山というのだそうだ。100名山としてはどちらに登ってもいいのだそうだ。ナルホド・・・。

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弥山の山頂にある神社奥の院。弁財天の看板があった。残念ながらここからの展望はない。

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              八経ヶ岳山頂にて

弥山から25分ほど行くと、大峰山最高峰(1915M)の八経ヶ岳に着いた。途中シラビソが目についたが、それ以上に立ち枯れて白くなった木がかなり目立ち、ちょっと異常に映った。

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八経ヶ岳山頂には錫杖が一本突っ立っていた。
頂上からは360度の展望があった。山頂から熊野方面を望む。

下山は登ってきた道を下って行く。下山時は腰に響き少し辛かったが、後方でゆっくり歩きなんとか持ちこたえた。
12:10弥山を出て行者還トンネル登山口に戻ったのが14:43だった。
ここから今夜の宿泊地の大台ケ原へ向かった。


29日は雨は降っていなかったが濃いガスがかかっていて視界不良である。
朝のテレビでの天気予報は、和歌山地区は晴れとあったがどうも大台ケ原は天気予報通りにはいかないらしい。全国有数の雨の多い場所で、下では晴れていても山上では雨という事は日常頻繁事であるらしい。

駐車場から木の階段と木道を歩き50分ほどで日出ヶ岳に着いた。ここには展望テラスがあるだけでおよそ山頂らしくはない。。
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一等三角点がありここが山頂のようだ。一応山頂を踏んだという証に記念撮影。

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至って貧弱な日出ヶ岳の標識を見つける。やはりここが山頂のようである。

ここから正木ヶ原・牛石ヶ原や岩壁に突き出たちょっとスリルのある大蛇ぐらの岩場を経由し10:55駐車場に戻ってきた。この道はほとんど高低差のない木道の散策路であったが、両脇には笹が異常に多いのが気になった。これは最近鹿が繁殖し高山植物を食い荒らした結果笹が多くなったのだという。しかも笹の丈もそんなに高くないのも伸びる前に食べてしまうからだそうだ。

帰路、大台ケ原からバスで下って行くうちにガスが切れ青空が見えてきた。それと共に両側には鮮やかな紅葉が目に入ってきた。大台ケ原の印象はまるでないが、この赤や黄色の紅葉はせめてもの救いだった。

by hkatsu59 | 2013-08-07 15:28 | 100名山追想記  

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