東北の火祭り・ねぶたを見てきた

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              2015年青森ねぶた

8月3日青森へ行ってねぶたを見てきた。
青森ねぶたは今では余りにも有名になりすぎていて、最近ではねぶたを見る為の市内での宿探しが至難の技となっているほどである。今回、縁があって1月にビジネスホテルが取れたこともあり、娘一家に声をかけて総勢7人でねぶたを見に行くことになった。
高校卒業するまでは青森に在住していたので、夏になると毎年ねぶた見物を楽しんだものである。小学校の低学年の頃にはねぶた運行に参加したことも何度かあった。又、後年はハネトとしても参加したこともあった。上京してからもこの時期になるとねぶた見物に毎年帰ってきたものだった。
しかし、親が亡くなってからは青森には縁遠くなってきて、最後にねぶたを見たのは30数年前に小学校1年の息子と幼稚園の娘を連れ一家で見に来て以来である。娘に聞くと記憶はないがねぶたのお囃子等の喧騒は頭に残っているという。その娘に声をかけると二つ返事で行きたいと返事があった。娘夫婦の仕事の関係で2泊より日にちが取れないこともあり、かなりの強行軍となったが、それでも久し振りのねぶた見物ということで首を長くして待っていたものだった。


ねぶた運行の手順はこのようになっている

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先導を切るのは、ねぶたを出展している企業・官公庁の名前を書いた山車や灯篭を先頭に、その後には子供達の一団が先陣をきる。

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その後に、花笠・浴衣に正装したハネトの集団がねぶた踊りで乱舞する。

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そして主役のねぶたの山車が続く。ねぶた師が一年がかりで造り上げた武者人形のねぶたが練り歩く。

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ねぶたの後ろには、ねぶた囃子を盛り上げる太鼓の一団が続いている。

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更に、横笛と鉦が賑やかに囃したてる。
これであの独特なねぶた囃子の喧騒となる。



ねぶたの前に・・・

8月2日(日)朝5時に自宅を車で出発、常磐道から東北道に入り、今日の目的地秋田大湯温泉へ向かった。途中福島へ入ると車の数もめっきり少なくなり、道端に設置されている放射線量の数値を表示する電光掲示板も富岡を過ぎると2シーベルトを超え、最高は5シーベルト以上にもなっていた(通常は0.2シーベルト以下なので行かに高いかが判る)。道の両側の民家もまるでひと気が感じられないゴーストタウンの様相である。途中のSAもPAも営業をしていないので常磐道を一気に走り抜け、東北道の鶴巣PAで遅めの朝食を摂った。

途中渋滞もなく順調に走り、花輪SAに着いたのが13時過ぎで、大湯温泉に行くのには少し早かったこともあり、近くの小坂町に立ち寄ることにした。ここには4年ほど前に一度来たことがあるが、かつて隆盛を誇った小坂銅山の面影を偲ばせる古い建物が残る町である。

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その最たるのがこの康楽館であろう。賑わっていたかつての町の娯楽を担った芝居小屋で、今でも現役で営業している。大衆演劇が主であるが時々歌舞伎や新劇等も上演していて、楽屋には高名な歌舞伎役者の落書きも残っている。前回来た時はその落書きを見ることが出来たが、今日は常打芝居を上演しているので楽屋を見ることが出来なかった。

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小屋の前の道の両側には数多くの幟がはためいていた。

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ここが切符のもぎりをする受付。

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受付を入るとすぐに芝居の上演者の看板があった。著名な歌舞伎役者の名前が見られる。かつて実際に上演したもののようだ。

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二階の向こう座敷から舞台を見る。今日は14時から大衆劇団の三峰組の芝居があるそうだ。

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地下にある舞台裏を見学する。狭い通路にあるポスター。実際に上演したポスターで、坂東玉三郎や中村勘三郎・片岡愛之助などの名前が見られる。

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実際に使用している回り舞台で、これを4人の人力で回すのだそうだ。この場所を奈落と呼ぶのだそうだ。

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庚楽館の近くにある小坂鉱山事務所。明治時代に秋田杉で造られた木造3階建の事務所で、鉱山のシンボルともいうべきものである。

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庭にある銅像の老夫婦と一緒に、Babaと娘と孫のY斗・K汰が事務所を見上げる。


翌朝は・・・

3日(月)大湯温泉から十和田湖・奥入瀬渓流を経由して青森市内に入る。

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大湯温泉から30分程の発荷峠の展望台から十和田湖を見る。生憎霞みがかかっていたが、かえって日本画的な趣があった。

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休屋御前ヶ浜で娘一家がスワンボートに乗り十和田湖に漕ぎだした。

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十和田湖のシンボル乙女の像の前で。

奥入瀬渓流の銚子大滝の駐車場に車を停め、しばらく渓流沿いを散策する。さすがに観光バスでの団体客が多かったが散策道は渋滞する程ではなかった。・
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奥入瀬渓流のハイライト銚子大滝。

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銚子大滝の前で記念撮影。

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奥入瀬の流れと緑濃い木々。昔来たことがあるが紅葉の時期は見事な景観である。

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九段の滝。

1時間程渓流沿いの遊歩道を歩いてから、酸ヶ湯温泉を経由して3時前に青森市内に入った。

ねぶたの合同運行は今夜は7時10分となっている。今日は大人ねぶたが16台・子供ねぶた・地域ねぶたが11台でるという。
ねぶたの運行は2日から始まり7日まで行われるが、2日と3日は子供ねぶたと大人ねぶたの一部(といっても7~8割の台数が出るが)が運行され、4~6日は全部の大人ねぶた(通常20数台で子供ねぶたは出ない)が練り出す、最後の7日は昼に運行され、夜はねぶたコンテストの賞(最高賞はねぶた大賞、昔は田村麻呂賞といっていた)を取った数台のねぶたを海上運行と称しハシケに乗せ海に海に浮かべ、花火を打ち上げる花火大会で締めくくるのである。

合同運行が開始されるまでの間、地元の海鮮料理屋で腹を満してから、山仲間で地元の高校の同期のW辺の親類で新町通りにあるI沢ガラス店の店先の特定席でねぶた見物をすることになった。
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孫のR央が貸衣装のねぶた浴衣を着て御機嫌である。ハイポーズ!!

さあ、いよいよねぶたの登場

7時10分に花火の合図で一斉に運行開始。
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浮き立つようなねぶた囃子に誘われてか、〝R央”姫も踊り出した。これを見てか囃子方も寄ってきて一緒に囃したてた。

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K汰も小太鼓を叩かせてもらい御機嫌である。

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次々とねぶたが続いてくる。

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ねぶたを正面から見て楽しむが、ねぶたの後ろ(裏)にも人形があるのでお見逃しなく。

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そのうちにやや小型のねぶたが見えてきた。これが子供ねぶた・地域ねぶたと呼ばれているものだ。
大人ねぶたはかなりの費用がかかる為(一説には2000万円以上とか)、県庁・市役所・自衛隊の官庁や大企業がねぶた師に依頼しねぶたを製作するのだが、この子供ねぶたや地域ねぶたは町内会や有志が手作りで造り上げたねぶたである。私が子供の頃にはこのような各町内会が作るねぶたが主流だったものだった。

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このねぶたは青森工業高校とある。高校生が作ったものか。

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古川小学校の幟と山車、開校90年とある。私が卒業した学校ではないが、長らく住んでいた家の近くにあった小学校であるので懐かしので思わずパチリ。

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熱心にねぶたに興じる娘一家。

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オープンカーに乗っているミスねぶた。循環道を一斉にねぶたがスタートするので、どこが運行の先頭か判らないが、どうやらここが先頭のようだ。

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3人で同時に打つ大太鼓。昔はこれの数倍の大きさの“じょっぱり太鼓”というのがあったが・・・
これは日立グループのものだが、幟には“今年で最後、35年間感謝・・・”の文言があった。ここにも景気の波があるのか。

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これは青森大学・青森山田高校のねぶた。最近はいろいろなスポーツで全国的に名前が知れ渡っているが。

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“R央”姫はずーっと踊りっぱなしである。疲れないのか、汗びっしょりで手と足を動かしっぱなしである。

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こんなR央にハネトが近ずいてきて鈴をくれる。こんなことが繰り返されて、孫たちの手には鈴が溢れていて皆御機嫌である。

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まだ踊り続ける“R央”姫とY斗。よほどねぶた囃子が気に入ったようだ。

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青森市役所のねぶた。

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灯篭に長島小学校の文字が・・・あった、あった。これが我が母校の小学校である。棟方志功の文字が見えるが、世界的板画家棟方志功は母校の先輩で、大のねぶた好きで知られていた。


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JR東日本のねぶた。国鉄時代からずーと出し続けている。

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青森県庁のねぶた。

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〝R央”姫は最後まで踊り続けていた。
9時過ぎに花火に合図で運行終了。2時間があっという間だった。運行が終わるとねぶたも三々五々消えて行って、あの喧騒がうそのように静かになって行った。


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1966年ねぶたにハネトとして参加した時の古い写真が出てきた。



祭りの翌日・・・

魂が湧き立つようなねぶた運行から一夜明けると、嘘のような静寂さを感じられる。しかし、まだねぶた祭りが始まったばかり、今夜もあの勇壮なねぶたとねぶた囃子で町中が騒然とすることだろう。

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翌朝、時間があったので青森港へ行ってみる。後ろに見えるのがかつて函館と結んだ青函連絡船の八甲田丸。

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1967年頃の青森港の岩壁。後ろに見えるのが青函連絡船の乗り場。上の写真とほぼ同じ場所から撮っているが、何となく面影がある。


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当時就航していた連絡船。


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港近くにあるねぶた小屋でねぶたが見られる。夜に見たねぶたと見比べてもらえると判るが、夜に灯が入ったねぶたは迫力が違う。
上が青森市役所のねぶたでしたが青森県庁のねぶたである。



30数年振りにねぶたを見たが、祭りに没頭していた昔の青春時代の興奮が蘇ってきた。
そこで、思い出すままに私なりのねぶた軌跡をひも解いてみた。
小学校の頃の昭和20年から30年代中盤までは、ねぶたは各町内会の有志が製作していた。そしてねぶたを製作しているねぶた小屋もその町内のどこかの空き地にあったものだった。7月頃になると子供達は〝探検”と称しねぶたを作っていそうな町内へ行ってねぶた小屋を探して歩くのが楽しみとなっていた。出来あがったねぶたはねぶた毎にいろいろなコースを練り歩くことになっていた。夜にはそのねぶたのコースを見つける為にあちこち駆け回り、今日は何台見つけたと自慢し合うのも遊びの一種になっていた。
又、子供の参加も自由で、唯一親公認の夜更かしが出来たものだった。今と違っての時代背景だった為、子供の祭り衣装はなく皆普段着で参加したものだった。そして、ガガシコと呼ばれるブリキ製のコップを叩いて〝ラッセラー・ラッセラー”と大声を出したものだった。ねぶたの練り歩きは12時頃まであって、最後にもらう大きなおにぎりが無性にうれしかった思い出がある。
そして、6日の夜の一日だけ合同運行として全てのねぶたが揃い決められたコースを運行し、ここで賞が決められることになっていた。
その時代のねぶたは竹と和紙だけで造っていた為、かなり大雑把なものだった。しかし、30年代に北川某というねぶた師が針金を使って手足や顔の表情をかなり細かく表現するようになった。これが今のねぶたの原型である。これにより芸術的にも見るべきものがあるねぶたの登場となった。
ひとつ事故(というべきか)として鮮明に覚えていることがある。今のねぶたはバッテリーを使い電球(蛍光灯)で照明とするが、20年代はローソクの灯を使っていたものだった。ある年のねぶた運行の時ローソクの火がねぶたに燃え移り、二対ある人形の片方が焼け落ちてしまった。翌日が合同運行の日だったのでどうなることかなと心配したが、町内総出で徹夜で造り直し、翌日の夜の合同運行に間にあった、ということがあった。
その後は、企業や官庁がねぶたを出すようになり、町内ねぶたは姿を消していった。そしてねぶたの運行も決められたコースを行くことに変わった。しかし、その頃は決められた時間に順次スタートして行くので、見学場所によってはなかなかねぶたが現われないという事があり、やきもきしていたものだった。
今年、見ていると運行コースにあらかじめねぶたを配置しておき、花火の合図で一斉にスタートするという方式に変わっていた。これであれば、初めから途切れることもなくねぶたを見られるので効率的には有効である。この方式は2001年から始まったようで、ねぶたがなかなか来ないという苦情と、一時問題になっていた歩く暴走族と称した〝カラス族”への対抗でもあったらしい(今はこの連中も姿を消したようだ)。
最後に、ねぶたは東北三大祭りとして有名になってしまい、今では東北の火祭りというより日本の火祭りとも呼ばれる様になった。昔、ある本で読んだことがあるが(筆者は誰か忘れたがかなり高名な方だった)、日本の祭りの中で見て楽しむ最たるものは京都祇園祭りの豪華絢爛さであり、参加して楽しむことが出来る最高の祭りが阿波踊りであるが、その双方を併せ持ったのが(ねぶた人形の芸術性とハネトの狂喜乱舞?)ねぶた祭りである、と書いてあった。今では、よさこいソーラン踊りとか浅草三社祭りや博多山笠など興奮にいと間のない祭りが普及してはいるが、一つの感慨としてナルホドと納得したものだった。
こんなことを思い出してしまった、今回のねぶた見学だった。



ついでにどうでもいいことだが・・

これからは、何の変哲もない町風景だが、かつて数年住んでいた町並みを見てみたく、朝ぶらぶら散歩してみる。

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古川陸橋から青森駅方面を見るが、昔の面影はまるでない。昔はこの左側にはリンゴ市場がズラリと並んでいて、呼び込みのおばさんの声が響き渡っていて、一種の風物詩でもあった。


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陸橋から数分の5差路。これを真っすぐ行くと我が母校古川中学校に行く。我が家があった所は左手である。

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5差路から我が家があった通りを見る。

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右手のスナックの看板がある辺りが我が家があった所。全く変わってしまっているが家の面影が残っている。

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これは1967年頃の我が家周辺。上の写真と見比べてみても面影はかすかに残っているかな。


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そこから少し離れたところ、左手の家がある所は中学時代に住んでいた場所。家は建て替えられていた。


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古川小学校。母校ではないが家が近かったせいかよくこの校庭で遊んだものだった。校舎は建て替えられていて昔の面影がない。


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古川小学校のまん前にある親友のO君(今は八戸在住)の家があった所。今は建て替えられていてどちらの家か判らないが、よく遊びに行った懐かしい所である。

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古川の陸橋からみた町並み。遠くに薄っすらと八甲田山が見える。下の線路は旧東北本線(現青い森鉄道と奥羽本線、函館まで行く津軽線である。
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by hkatsu59 | 2015-08-05 15:16 | 暇な話 | Comments(2)  

Commented by akiotakahashi at 2015-08-18 06:46
棟方志功の同窓生とは、栄誉なことですね。3月に家内と、ねぶた館、港の展望塔に行ったのを思い出しました。ねぶたの歴史もよく解り、昔のねぶたはもっと小型だったのか思いました。それにしても、青森まで車を運転して行くのは、まだまだお元気な証拠です。
Commented by hkatsu59 at 2015-08-22 11:24
言い訳
青森まで運転したのは娘夫婦、ほとんどが婿殿でした。ねぶた行きを誘ったら、何を思ったか無理をして7人乗りの車に買い変えてしまい、新車を他人に運転させてくれなかった。おかげで楽をさせてもらいました。

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