真田丸行脚(その1、松代・上田編)

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      上田城址の堀と満開の桜

4月7日(木)~8日(金)昨年11月に訪れていたく感激した高崎の割烹旅館“やじま”に、ひょんなことから再訪する機会に恵まれた。それでは・・・とFツアーの名幹事N松さんの企画で上州の岩櫃山と鹿岳(かなだけ)を前後に登ろうということになり、山仲間7人で出発した。
7日に赤羽集合の4人と練馬集合の3人と2台の車に分乗し、関越道上里SAで待ち合わせた。しかし生憎とこの日は雨模様だったために、今日予定していた岩櫃山を中止として、今年話題の真田丸の一端を覗いてみようということになり、松代・上田へ方向変更となった。あわよくば満開の桜にありつけるのでは、という期待もあった。



まず松代城跡を見る。
松代城は川中島の合戦で武田側の拠点として構築された海津城のことであり、関ヶ原合戦後に真田信之が上田城から移封されてきて松代城となり、その後明治維新まで真田家10代が統治してきたものである。明治維新後廃城になったものを2004年に一部再建したのが現在の姿である。


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再建した本丸正面の太鼓門。ここを渡って本丸跡に入る。

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中に入ると期待通り満開の桜が出迎えてくれた。

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満開のソメイヨシノをアップ。

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海津城の石碑があった。どうも松代城よりも海津城の方が歴史感がある。

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戌亥の櫓台から城跡の桜を望む。遠くの山はガスで霞んでいる。

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当時の面影を残す石垣と堀と桜。

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少し離れた所にある真田邸に移動する。ここは江戸時代には真田家の御殿である。前庭にある枝垂れ桜。

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真田邸の門(入口)。邸内には今年の大河ドラマ真田丸に関する展示物で一杯である。

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庭園はなかなか落ち着いていて見ごたえがある。

松代のもう一つの歴史跡の大本営遺跡を見る。
ここは太平洋戦争末期の1944年11月に、軍部が本土決戦に備え皇居・政府官庁・ラジオ局等をここに移すべく松代の象山・舞鶴山・皆神(みなかみ)山の三山の地下をくり抜いたシェルターで、地下軍事施設の跡地である。6000人の労働者を使い9か月で10キロ掘ったというから驚きである。今は500メートルが見学できることになっている。いつの世も戦争の中心部にいる輩は非常識なことを思いつくものだ。
ここに行くのに道が判り難く少し遠回りしてしまった。

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ここが地下壕の入口である(OY木さんのブログより借用)、

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ここに入るのにはヘルメットを着用することになっている。

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シェルター内は電気が付いていて危なくはない。

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ほとんどが手作業だそうで、よく掘ったものだと感心する。しかし進んで行ってもほとんど同じ様子なのでまん中あたりで引き返す。

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この馬鹿げた遺跡に来た記念に全員で記念撮影(M本さんのブログより借用)。

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これが入口脇にあるシェルターの全体案内図。ここは象山にある軍中枢の地下壕でほぼ完成していたという。隣の皆神山の下には皇居が入る予定で、地下の部屋には木製表具等がはめ込まれていたとか。


頃は13時を回った時分。腹も減ったので上田の名物そばや“刀屋”に飛び込む。行列のできるそばやのようだがピークを過ぎていたのですんなり入れた(とある事情で1名は別行動)。

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ここのそばやの量が半端ではないと噂には聞いていたが入るのは初めてである。F滝さんから決して大盛は頼まないことと念を押された。

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これがもりそばの普通である。これで他の店の3人前はあるそうだ。メニューでは大盛(4人前)・普通(3人前)・中盛(2人前)・小盛(1人前)の4種類ある。そして普通が700円とは安い。
しかし、よく考えてみると二八以上のそばでは到底採算に合わないし不可能である。よく行く秩父駅前のそば屋では採算上は四六そばにしていると言っていたが、これもそのくらいかな?あるいは・・・?ちょっとそばの香りが薄い気がした。まあ、これも話の種である。


食後、近くの上田城跡公園に移動する。
上田城は真田昌幸の居城であり、第二次上田合戦では真田昌幸・信繁(幸村)親子が徳川秀忠軍35、000を2,500人で籠城して戦い、7日間足止めをさせたため秀忠は関ヶ原の戦に間に合わなかったという話は有名である。
真田信之が松代城に移封後は一時取り壊されたが、その後の藩主仙石氏の時に一部再建し、さらに松平氏が引き継ぎ明治維新まで続いたようである。
ここも真田丸効果か幟や看板がよく目に付く。

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当時の面影を残す堀に満開の桜がよく似合う。

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堀端の枝垂れ桜が満開である。

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雲もようやく切れてきて遠くの山が見えるようになる。

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正門前の桜が見事なので、全員で記念撮影をする。

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城跡公園のなかにある真田神社にお参りをしておく。


上田城跡から今夜の宿“やじま”へ向かう。長野道吉井ICを下りやじまに行く途中に枝垂れ桜が綺麗な寺を目にし、立ち寄る。
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ここは向陽寺という。本堂に向かう右側の枝垂れ桜が綺麗である。

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六地蔵が鎮座している。

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その横には菜の花畑が広がっている。

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菜の花畑の中に雄雉を見つける(私はシャッターチャンスに恵まれなかったのでM本さんのブログから借用しました)。

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花桃の可憐な花も咲き誇っていた。

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対のかわいい地蔵と枝垂れ桜。

少し道草をして目指す割烹“やじま”に向かった。

この続きは、真田丸行脚(その2、割烹“やじま”編)で・・・
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by hkatsu59 | 2016-04-13 10:07 | 暇な話 | Comments(0)  

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