母親の事

Oのお母さんには大変お世話になった。
高校時代は暇さえあればC水産の2階の奥の部屋、いわゆるO母子の部屋によくお邪魔して遊んでいた。
しかし、正直我々が部屋にいる時間帯は、お母さんは経営している映画館に入りびたりになっているのでほとんど顔を合わせたことはなかった。Oに映画館に連れて行ってもらった時は社長室に入れてもらい、冷たい飲み物をごちそうになったり、評判の映画をタダで見せてもらったり、といい思いをさせてもらった。しかし、仕事をしているお母さんを見ると、部下にテキパキと指図したり、業者とのやり取りも無駄のない流れで処理したり、と子供ながらにもすごいお母さんだなあと尊敬の念を持ったことを覚えている。
Oのお父さんはOが3歳の時鉄道事故で亡くなり、それ以来お母さんは苦労をされたと聞いているが、映画館経営と巡り会ってからは順風満帆を歩いてこられた。しかし、これはお母さんの経営努力があってのたまものであろう。実は私も父親は戦死していたため、父親の顔は全く覚えていない。Oも父親の顔は知らないということで、この点で共通点があった為か自然に意気投合した感もあるのだ。しかし、母親のことになると我が家とはまるっきり違うのだ。私の母はいわゆる家事が好きで、若いころ飲食店をやっていたせいか料理が得意だった。だが肝心の経済力はまるで駄目でいつも火の車の家庭だった。
ある時、お互いの母親の話になったときに私が仕事が出来るOの母親がうらやましいと言ったことがある。するとOは逆に私の母親がいいなあとポツリと言ってきた。母親の作った料理を食べ、母親との夜の団欒がうらやましいというのだ。これを聞いて、Oも寂しいのだなあと痛感し、それ以来母親の話題はお互いに口にしなくなった。

その後も、Oとお母さんを見ていると本当に仲が良く、我が家のような母子喧嘩など無縁のようだった。Oが三浪の末に新潟大学医学部に合格した時、お母さんがとても喜んでくれて゛初めて親孝行してくれたね”と言われたと喜色満面で話してくれた。
そのお母さんが48才の若さで早逝されるとは想像だにしていなかった。それ以降のOの寂寥感は推して知るべしの思いだった。
                                2018・6・4


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by hkatsu59 | 2018-07-01 14:00 | 亡友想記 | Comments(0)  

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