淡い青春の1ページ

多感な高校生から大学時代にかけては、甘酸っぱい青春の一コマは誰にでもあるもの。
Oはどうだったろうか。思い浮かぶことがひとつある。

高校3年の体育会で見事走高跳で1位になった日の夕方、お祝いと冷やかしを兼ねてOの家へ行った時である。いつもの通りOの家の前で立ち話をしている時、すぐ前のF小学校の校庭でソフトボールをしている女子中学生と思しき5~6人を見つけ、しばらく見入っていた。ところが見ていてもどうも動きがぎこちない。そして、どちらからともなくコーチしてやろうということになり、女子中学生の中に入っていった。Oはボールの打ち方、私はボールの取り方を教えた。そのうち暗くなりかけてきたので終了ということになったが、その女子中学生から゛近じか校内ソプトボール大会がありその練習をしていた。明日、別のK小学校で練習するのでまたコーチしてくれませんか”と頼まれる。頼まれると嫌とは言えず翌日(日曜日だった)K小学校まで行って午前中みっちりコーチで汗を流したのだ。別れ際、その女子中学生はN中学校の3年生だということだった。
その後、このことはすっかり忘れていたが、しばらくしてからOの家に遊びに行った時、あの時の女子中学生のうち3人くらいだったと思うが、Oの部屋にいたのにはびっくりした。コーチしてもらったお礼(試合結果は覚えていないが)に来たのだそうだ。自己紹介してもらい、しばらく話し込んでいた。その中にT子という利発そうな可愛い顔立ちの娘がいて、会話にもスムーズに入ってきて印象が良かった。聞くと我がA高校を受験するという。先輩ぶって受験の心得(?)も話して聞かせた。帰った後もOとはしばらくT子の話題が尽きなかった。
翌年の春に無事A高校に合格したとわざわざ報告に来るほど律義な娘だった。
その後、私は予備校・大学と東京生活、Oは仙台・東京での予備校生活と別れ別れになったが、Oからの手紙ではT子との文通は続いているということだった。
次に私がT子にあったのは、Oが新潟大に合格した後、やはりOの部屋だった。それからしばらくはOとW辺も交え、時々会う機会もあった。又、OもT子の家に遊びに行ったこともあるというので、いいお付き合いをしていると思っていた。
そこで、Oに゛T子を好きなんじゃないか”と聞いてみたことがあるが、Oは゛T子は俺のことをお兄さんとみているので、こちらもその気にはなれない”という返事だった。大体恋愛なんてこんなことから始まり、進行していくものなのだ、とW辺と話をしてしばらく様子を見ようということになった。その後、T子は東京の大学を受験すると言っていた。それから二人の交際は続いていたのかは不明だったが、ある時Oの口からT子が東京で亡くなったと言い出した。まだ二十歳そこそこで、なんで亡くなったかもはっきりしないという。その時のOを見ているとさほど落ち込んでもいないので、゛ああ、兄・妹の関係から進展していなかったのか”と感じたものだ。その後は、OとW辺との間ではT子の話題はほとんど口にすることはなかった。
私とW辺から見ると、これがOの淡いほのかな青春のひとかけらかなと思うのだが、O本人からするとなんでもなかった時間だったのかもしれない(そんなはずはないと思うのが普通だが)。
こと女性のことになると生真面目なほど淡白なOであった。
その数年後に、ある日突然Oから゛結婚した”という結果報告をもらったときには、゛えッ!!あの女性に対して奥手なOにしては”゛と我が耳を疑ったほどである。
                                2018・6・9

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by hkatsu59 | 2018-07-01 12:30 | 亡友想記 | Comments(0)  

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