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寸描

こんなこともあったっけ!

津軽の冬は厳しい。特に雪がたたきつけるような吹雪の日は身体が凍り付くようにきつい。
A高校へはバス通学していたが、Oと私はいつも同じバス停から同じバスに乗って毎朝顔を合わせていた。そのころのOはどんなに寒かろうと吹雪いていようとオーバーを着ないで学生服のままで通学していた。これに感化され私も学生服で通学した。しかし、寒い!!どんなに下に着こんでいても寒いものは寒い。それでもOに負けまい(?)と高校1年の時は学生服通学で通した。しかし、2年生になってからは意地を張るのも馬鹿らしくなりやめてしまった。だが、Oはとうとう3年間学生服通学をやり遂げてしまった。恐れ入った次第である。オーバーコートを持っていないわけではなく、プライベートの時は着ていたのを覚えている。良し悪しは別として、こうと決めたことはやり抜くというOの意固地さが出ていたものだ。

私の初詣では例年元旦に近くにある善知鳥神社に行っていた。ある年の大晦日に、Oと示し合わせて夕方Oのお母さんが経営している映画館に行き、事務所で紅白歌合戦のテレビを見てから善知鳥神社に繰り出した。この時Oはコートを着ていた。かなりの積雪があったが、晴れていて冬の星空がきれいだったことを覚えている。しかし寒さは厳しい、シバレル!!神社は初詣の人で混雑していて、広くない参道はびっしりだった。除夜の鐘を聞いてから参拝し、焚火で暖をとったり、参道や道路に並ぶ夜店を冷やかしたりたりして、夜が白み始めるころまで時間をつぶした。帰り際に年越しそばを食べ二人でささやかに新年を祝って帰宅した。

卒業式が終わり、進学の夢破れたOとW辺と私の3人で卒業旅行と称し急遽函館へ遊びに行くことになった。青函連絡船で昼頃函館に着いて、市内見物や函館山で遊んだ。翌日洞爺湖へ行くのでなるべくそこに近いところに泊まろうということになり、結構夜遅くの列車に飛び乗り長万部で降りた。駅に降りてはみたものの宿は決めていなく、しかも、夜の11時頃だったと記憶していているが、駅前は暗く人通りもほとんどない。どうしようかと3人で佇んでいるところに旅館の客引きが声をかけてきた。うさん臭い思いもあり躊躇していたが、まだ寒い時期なので野宿するわけにもいかず、思い切って泊ることにした。駅からはさほど遠くはなかったが車で連れていかれた宿は粗末な旅籠という感じだった。その日は疲れもありぐっすり寝たが、翌朝早々に起き朝食を断り逃げるように宿を後にした。それから、洞爺湖・昭和新山で遊んだが、そのころになる3人とも所持金が少なくなったので皆で有り金を出し合い函館まで戻った。しかし、夕食を食べる金がなく最後の金を寄せ集め魚肉ソーセージ3本を買って、青函連絡船のデッキで夜の海を見ながらかじったものだ。貧乏旅行だったがこの時の漁火や竜飛灯台の灯りと、津軽海峡・陸奥湾の漆黒の海面にたつ白い波しぶきを見ながら食べたソーセージはことのほか美味しく感じ、今でも鮮明に覚えている。

卒業式が終わってから何をすることもなくぶらぶらしていたが、ある時Oと喫茶店のハシゴをしてみようということになった。学生時代は喫茶店は立ち入り禁止だったが、晴れて卒業した手前堂々と入ることが出来るので、ちょっと大人の気分を味わってみたくなった。、青森市内の繁華街新町通りや夜店通りの喫茶店を4~5店ハシゴして廻った。このころはコーヒー等は飲んだことなく、ジュースやソーダーなどを注文した。喫茶店へ行っても特に何をするでもなくただ駄弁っていただけだが、何となくハシゴをしたということで大人の仲間入りしたという他愛もない経験をし二人だけで満足したものだった。
                               2018・6・26

by hkatsu59 | 2018-07-01 09:30 | 亡友想記  

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